ワーケーション2024: ポルトガル [ニュースレター:2024年五月号] / by kaz yoneda

巻頭言
先年に続きB01では、「ワーケーション」という名目のもと、各メンバーがそれぞれ選んだ場所に旅立ちます。ニュースレターでは、各々が訪れた場所をたどり、何を学び、何を発見したかを皆さんとシェアしていきます。日々の活動やありふれた日常から外れることで発見できる異なる視点、新しい世界観、魅力的な人々や場所、人生の気付きに出会うことが可能になると思います。そのひとつの例として、B01は寄留の所要を重要視します。これが毎年の恒例行事となり、私たち一人ひとりがより健全で視野の広い人間になり、B01が手がけるプロジェクトに貴重な洞察と経験をもたらしてくれることを願っています。トップバッターは、ポルトガルでワーケーションしたキャズです。

度重なる地震で被害をうけた聖ドミニコ教会(作者提供)

「東夷から南蛮へ」by キャズ・T・ヨネダ

コメルシオ広場からみた湾(作者提供)

1755年、ポルトガルを含むイベリア半島と北西アフリカをマグニチュード7.7と推定される地震が襲いました。この地震とそれに続く一連の壊滅的な自然災害は、リスボン大地震として永遠に歴史に刻まれることになります。この地震は文字通り衝撃を半球に与えただけでなく、当時の科学界や哲学界にも存在論的ジレンマを引き起こすきっかけとなりました。そして、ヨーロッパでまだ草創期の自然学者や哲学者の中に、若き日のイマヌエル・カントがいて、この世界的な出来事に強い関心を抱いていました。現在の科学的理論に照らし合わせると不正確でしたが、それでも彼の考察は、神の存在による超自然的な説明ではなく、自然科学的な理論構築で地震を体系的に説明しようとした最初の試みの一つだったのです。ヴァルター・ベンヤミンは、カントをはじめとする学者達による地震の原因究明は、「おそらくドイツにおける科学的地理学の始まりを示すものであろう。そして間違いなく地震学の始まりである」と述べています。カント自身は、デカルト的宇宙論の衰退とニュートン的理論の台頭と時を同じくして、当時神意の領域であったロジックの概念を問い直し、やがて彼独自の批判哲学を発展させることになります。この地震は、人類が自然界を理解し、指し図るする方法、そして前世紀の宇宙論との関係を根本的に変えました。

青いアズレージョのタイルで装飾されたサン・ビセンテ・デ・フォーラ修道院の中庭(作者提供)

タイルで多様な模様が施された舗道(作者提供)

リスボンは、その歴史を通し地層的に活発だったようで、毎度瓦礫の中から奇跡的に蘇りました。全く違うかたちで、東京(江戸)もまた、地震に見舞われやすい場所でありながら、そのたびに再生してきました。あるコンテキストでは、永遠という概念を受け入れて、構造的により強固で美観的に統一されたポンバリン的な都市が再び出現しました。他方、別のコンテキストでは、無常という概念を受け入れ、あらゆる側面に儚いエトスを見出し、その都度、弾力性のあるモザイクのような都市として生まれ変わりました。壊滅的な地震に見舞われたリスボンでしたが、地震前と同じ組積造を主とした工法で街を立て直します。ただ皮肉にも、当時のポルトガル国王ジョゼ1世は、石壁の建物に住むことを恐れて、その後没するまでアジュダの丘に巨大なテント張りの仮王宮をつくり、そこで余生を送ることを選びました。木の文明と石の文明の違いは、それらが共通して乗り越えてきた一連の大災害だけをとっても、深く相容れない進化を辿ってきたのでしょう。儚きを美とする地から出でた旅人が、永遠の願望を抱く地に訪れたのだから、対照的な体験は尖鋭なものに感じました。タイルで多様な模様が施された舗道、青いアズレージョのタイルで補強されたファサード、モニュメンタルな教会、宮殿、港に面した荘厳な広場:すべてこれらが顕すところは、人間精神の多面性のうち、どんな大災害にも屈しない一面を浮き彫りにしています。

サンティアゴ・カラトラバ設計のオリエンテ駅(作者提供)

ちょうどアニメ・エキスポが行われていた風景(作者提供)

1998年リスボン万国博覧会の会場も非常に貴重な体験でした。この万博は、都市の再整備プロジェクトの一環として旧工業地帯に計画されました。多様な人材、投資、素材、手法がこの場所に集結し、現在では「ナソンイス公園(Parque das Nações)」として知られています。特筆すべき建築には、サンティアゴ・カラトラバ設計のオリエンテ駅やアルバロ・シザ・ヴィエイラによるポルトガル館があります。万博は成功しましたが、即興性のあるステロイド注射のような効果や即物的な結果を指してはいません。開催から四半世紀を経た今日、この地域は、ショッピング、商業、グルメの施設(そう、そこには僅かながらカジノも)が立ち並ぶ活気あるウォーターフロントの風景となっています。シザのポルトガル館は、静粛な中心的作品としてそこに建っていました。派手でも、仰々しくも、巨大でもない、水辺にひっそりとたたずむパビリオンは、国家の身の丈に合った規模感とシンプルな美しい象徴でした。さらに、二つのボリュームの間をつなぐ垂れ下がったプレストレストコンクリートでつくられたキャノピー・エントランスは、広大な半屋外スペースとしてイベントにも使われ続けています。夕食をとる場所を探して、偶然このパビリオンに遭遇したとき、開放的な空間に歓迎され、ちょうど政治演説集会が開かれていました。民主主義の息吹が感じられる、なんとよきことかな。この万博跡地は、実際に人々が時をすごし、日常生活の一部になっていました。廃墟と化した遊園地みたいな放置のしかたでもなければ、将来的に広大な統合リゾート島になる予定があるわけでもない。まさに、あらゆる種の人々が共存できる真の意味での公共の場でした。これは美しく崇高な光景であり ー その場限り、あるいはイベント期間中だけとか一世代だけで終わりじゃなくて ー 実際に持続し、多種多様な人々によって日々利用され、数多の思い出を育み、やがて己々の住む場所への愛着を育むような建築と都市空間でした。SDGsとか持続性を謳うのなら、なおのこと、こういう場、建築や街をつくっていかないといけないんじゃないでしょうか?

アルバロ・シザ・ヴィエイラによるポルトガル館(作者提供)

レポーター:キャズ・T・ヨネダ

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お付き合いいただきありがとうございました。
それでは、次回をお楽しみに!