ヤクドシですが、なにか? [ニュースレター:2024年二月号] / by kaz yoneda

青森県八戸市の櫛引八幡宮にて(写真: 作者提供)

日本には、具体的な発祥は不明ですが、厄年という習慣が平安時代からあったそうです。かくいう私も今年が本厄。。。悲観する必要はないと思っています。チョコレート産業の結託によるバレンタインデーの商業化といったような他数の例まで参照しないにしろ、解釈次第で「ヤクドシ」という言葉は本来あるべき意味から誤った捉え方をされ、忌み嫌われてきたように感じます。私がある筋から聞いた説明が一番腑に落ちました。「ヤクドシ」の「ヤク」は、もともと「役」を指すという一説があるようです。社会的もしくは家族内の役目を担い始める人生の節目を「役年」とする説です。最初の二十代前後の役は、大人として認められる歳、今で言うところの元服や成人式といったところでしょうか。2つ目の30代から40代の役は、一人前と認められて家業を継いだり、所帯を持ったり家族が拡張することを示唆しています。3つ目の60代の役年は、引退して余生をすごし始める歳なので、さながら昔でいうところの隠居を差します。

昨今の人生百年云々で昔のような時間感覚があてはまるかどうか解りませんが、60代で隠居できるのは羨ましくも感じます。大切な人生の節目だからこそ、心身ともにウェルネスに気をつけるべきであって、これからのアクションや健康を言祝ぎ、祈るべく神社仏閣で厄払い等の儀式を楽しく行うことは良いことだと思います。ヤクドシだからといって、それを言い訳にして挑戦を避けたり、失敗をそのせいにしたり、思考することを怠ったり、後ろ向きになるのでは、成長も学びもありません。ありのまま然るべき平常を保つか、逆に役年をきっかけに新しいことに挑戦する良い時期と捉えたいと思います。

さて、このニュースレターを通してなんで役年についてわざわざ書いているかといいますと、自身が役年というのもありますが、重要なお知らせがあります。4月より某大学の特任准教授になることを仰せつかりました。非常に名誉なことでもありますが、同時に自分のゼミを持って活動することは始めての挑戦でハラハラ・ドキドキしています。日本国中の大学を渡り歩いてきた「流しの教員」として、多種多様な先生や学生との貴重な体験を積ませていただきました。某大学での学業に勤しむ反面、旧来の学閥的な帰属意識には興味がないので、これからも国内外の大学や教育組織と越境的なエデュケーションのかたちを構想して実践していきたいと思います。同時に、B01でのプラクティスを通して、デザイン・実践・実績構築に邁進し続けていきます。

「役立たず」にならぬよう、気を引き締めて精進してまいりますので、
より一層、皆様のご協力とご教鞭をいただければ幸いです。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

執筆:キャズ・T・ヨネダ

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お付き合いいただきありがとうございました。
それでは、次回をお楽しみに!