*注釈:この作品は、英国の建築誌『Architectural Review』2021年2月号に庭園をテーマとして掲載されたものです。当初は「Arboreal Artifice」という改題で、日本語では掲載されていませんでしたが、この機会に皆様に向けて公開したいと思います。長編であったため、2回に分けてお届けしています。今月はその後半の完結編です。
拘束された自然:商品化された木々の表層 (2/2)
水庭は、精緻な平面図によって徹頭徹尾プラノメトリック(平面的)にできています。設計者によって描かれた、様々な種類の移植された樹木を示す立面図集は、趣があり絵として優れていますが、ここで実際に必要なのは、それぞれの樹木が生き残るために必要な根の構成であったりそれぞれの縄張りなのであって、図は疑似科学的なものといえるでしょう。しかしながら、結果は、植物学と水文学をバランスよく取り入れた幾何学的な力作であることは確かで、施工と維持に関与する熟練した庭師、樹木医、造園家の協力が不可欠だったことが伺えます。
この庭園の造形は、作者の意図とは関係なく、見る人によっては日本の湿地帯に見られる地形現象「池塘(ちとう)」になぞらえることができます。これは、尾瀬や立山弥陀ヶ原湿原など、ラムサール条約で保護された湿地帯に見られる独特の静水域の生態系を構成する地形です。ただし、この庭園と池塘の決定的な違いは、樹木の密度と歴史的に湿地帯でなかった土地そのものの出自でしょう。また、その洗練されたプランニングのためか、この庭園は自己言及的であり、内包的です。かつての日本庭園では、遠くの自然の名所や地形を前景の背景として取り入れる「借景」という技法があり、庭園の空間が物理的な制限を越えて無限に広がっていくことができました。借景があったからこそ伝統的な日本庭園は、たとえ小さな庭であっても、そして観察できる範囲が限られていても、豊かな三次元の空間として理解され、体験されてきました。しかし、この庭はそのコンテクストとの関係性を意識せず、伝統に縛られることなく展開されているように捉えることができます。
また、季節の移り変わりも、そうした空間の文化的理解に重要な役割を果たしてきました。 明治神宮の鎮守の森は、100年計画で成長し、生態系が多様化することを最終的な姿として設計されておりいます。忘れてはならないのは、時間の流れです。水庭では、時間そのものが停止し、樹木は胴回りと高さが制限され、幹の円周が全体の構成の儚さを表し続けます。一本でも樹木が育ちすぎたり、遠くの雪をかぶった山の景色が、自己完結した内部空間の静けさに入り込んだりすると、「樹間との調和」という主題は、「池が大きくなればなるほど、木の枝の間隔が広くなり、それに伴って空間が広くなる」という論理とともに崩れてしまうでしょう。即ち、木や枝は永遠にネオテニーの状態で時間が停止した状態として、絶え間なく剪定される必要があります。このユートピアの小さなポケットを維持する献身的な庭師には脱帽するしかなありません。
順路の飛び石の配置にも、意図的でないにせよ、作者が平面性に与える優位性が表れています。進行の振り付け、あるいはプロセッションは、まさに人間と自然の共生を人間中心的な視点から捉え直すためのコントロールの問題として捉えることができます。人間も自然も自由に歩き回ることを許されていません。飛び石は、短・中・長という直線的なシークエンスで展開される規定の道に配置されています。なかには小さすぎて人間のアフォーダンスに欠ける飛び石もありますが、パターンとしては美しいものです。これは絵巻物のようなもので、文字通り、物語が進行しながら解き明かされていきます。そして、この物語のシーンは、いつ行っても、人の手入れがあり続ける限り、不変の状態で、時代を超えて、奇跡的に維持されるのでしょう。逆説的に言えば、それは新しく挿入された湿地帯としてではなく、従前の原生林が原状復帰しようとして容易に再起蹂躙してもおかしくないこの場に施されたシステムの脆弱性をも意味しています。
とりわけ人新世の時代には、人間の傲慢さを排除した共生をいかに実現するかに人々の関心が集まっていることを感じます。しかしながら、皮肉なことに、自然は放っておいてもよく育ちます。私たちが考えているよりもずっと回復力があり、自らの意思で再生することができるのです。つまり、人間の介入が必要なのは、地球環境の危機を引き起こした人類の行為行動そのものなのでしょう。介入は、自然そのものに対してではなく、権利の主張と合理化の名の下に正当化されてきた人間の行為そのものだと捉えます。この庭は、自然が人間の手によってどうにか救われるという願望を否定も肯定も主張していないように思えます。ここは、人間が消費し、瞑想し、我を忘れるのに適した空間といえるでしょう。栄養消費という生産的で持続可能な里山の原型は、美的消費のため徹底的に解体され再構築された形となって我々の眼前に広がります。その消化はソーシャルメディアの普及によってより強力に加速しました。まさに現代を顕著に結晶化した現象空間です。「自然を破壊するのではなく、自然を改善する」と宣言するやいなや、その宣言もまた、驚くべき商品化行為であることに気づくのです。
執筆(英文):カズ・ヨネダ
編集:出原 日向子
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それでは、次回をお楽しみに!