先月18日、ルース・ベイダー・ギンズバーグが87歳で亡くなった。まだ女性がロースクールに通うのも珍しかった1950年代に法学位を取得し、27年間にわたりアメリカ合衆国最高裁判所の判事を務めた。女性の連邦最高裁判事は、アメリカ史上二人目だった。彼女は一貫して「平等」を掲げた。特に性差別に関して一貫した姿勢を持ち、大きな影響を与えてきた。
アメリカが、依然として男性社会であることは否めない。2020年のジェンダーギャップ指数も、53位にとどまっている(日本は121位だった)。指数が全てではないものの、女性の自由が規制されている保守的な州も存在している。そのようなアメリカにおいて、ギンズバーグは常に平等の意識を貫き、戦ってきた。慎んで哀悼の意を捧げる。
今回は、女性が変えた歴史について考えたい。プリンシパルのカズ・ヨネダは、先月から日本女子大学で講義の担当を始めた。講義で取り上げるテーマは『アメリカ大都市の死と生』という書籍。ジェイン・ジェイコブスの著作で、近代都市計画を批判した一冊である。彼女もまた、20世紀半ばのアメリカに大きな影響を与えた女性の一人だ。ニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジに住んでいたジャーナリストの彼女は、高速道路の建設や再開発に対する反対運動に立ち上がった。
終戦後のニューヨークの街には、貧しい人も多く、スラム街もあった。そんな街の再開発をしようと試みたのが、ロバート・モーゼスという「マスター・ビルダー」である。街に巨大な高速道路を通し、スラム街を一掃し、居住地区と商業地区を完全に分け、高層ビルの建設を次々と進めていた。モーゼス自身、最初は地域コミュニティを大事にしていたものの、徐々にそれを無視し始め、代わりに効率性を重視した街を開発した。そんな彼に対し、ジェイコブスは彼女ならではの視点で市民に問を投げかけた。ストリートにこそ文化があり、人が都市に合わせるのではなく、都市が人に合わせるのだと主張した。
1954年、ワシントン・スクエア・パークに幹線道路を貫かせる計画が浮上したとき、ジェイコブスは活動家たちとともに抗議活動を始めた。市長に対して直訴の手紙を書き、地域が破壊されると訴えた。あるときモーゼスが「抗議するのは主婦どもだけだ」と発し、その一言で、多くの女性を敵に回すことになった。人を動かす才能のあった彼女は、多くの著名人を味方につけた。結果的に、幹線道路の計画は白紙に戻ったのだった。
この計画の直後に出版されたのが、『アメリカ大都市の死と生』である。この書籍をジェイコブスはモーゼスに送ったが、ひどい罵倒とともに送り返されたという。また、『ニューヨーク』誌の建築評論家だったルイス・マンフォードもこの書籍に対して ”ジェイコブズお母さんの家庭療法(Mother Jacobs’ Home Remedies)” と題し「ただの中年女性であるジェイン・ジェイコブズが、インチキな療法で街を治そうとしている」と書いた。もちろんと言っていいほどに、この時代に強い主張の女性は歓迎されなかった。
しかし、ジェイコブスが書籍を出したころ、ベティ・フリーダンは『新しい女性の創造』を、レイチェル・カーソンは『沈黙の春』を出版した。環境活動、公民権、街に関する運動、そしてフェミニズムが一斉に生まれた時代だった。いずれも市民の力がかたちになった運動だった。そしてそのきっかけとなった著作者は、女性だった。モーゼスらが進めた多くの高層住宅は、結局完成から30〜40年後に解体された。一度破壊された都市は元に戻らないが、ワシントン・スクエア・パークは今も人々の憩いの場として役目を担っている。
執筆:角尾 舞
翻訳:村山和裕
監修:カズ・ヨネダ