起点終点
日本の「街道」は、産業革命前の中世時代に大都市を結んでいた交通網を指す言葉です。これらの道は、主に徒歩での移動を想定して設計・整備されており、急を要する取引の場合には馬が使われることもありました。原型は大昔から存在していましたが、街道の正式な統合、境界線の設定、整備は、17世紀江戸時代の到来とともに徳川幕府の手によって行われ、概ね現在と同じような状態になりました。何世紀にもわたって続いた戦国乱世の後に訪れたこの時代は、比類のない平和な時代であり、それに伴って人、物、情報の流れは支配者層から監視されながらも豊かになりました。中でも東海道は、現在の東京、名古屋、そして京都を結ぶ、太平洋岸の「東の海の道」です。
東海道は日光道中よりも人の往来が激しく、周知のように五十三次の宿場が置かれていたが、この五十三という数字が特別な意味をもつのである。それは善財童子が悟りを開くために歴訪した場所の数と一致する。この説話は、日本仏教の経典の中でももっとも広く読まれた『華厳経』…に著されており、古くから万人に親しまれていた。…江戸は、人が求道を開始するときの心境を象徴していた。つまり知らないことが多く、これから未知なものを探求していこうという状態である。このことは、まだ京都に比べて開発は遅れているが将来の可能性に夢が膨らむ、当時の新都市としての江戸のイメージに重なっている。
─タイモン・スクリーチ著『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』講談社学術文庫、2017年、36-37頁
私はスクリーチ教授の東海道の描写と悟りの思想に触発され、またダイエットという世俗的な動機から、数年前から街道を走ったり、より険しい地形はトレッキングするようになりました。この活動のペースは、未曾有のパンデミックによって頻度を増し、身体的にも、歴史的にも、日本の中の光と影を探ることができるようになりました。2020年に東海道を完歩した後は、水戸や日光へ向かう街道筋もリストアップされ、現在は中山道のトレイルに着手しています。すべての街道は例外なく日本橋から出発します。西洋には伝説的なミリアリウム・アウレウムがあり、「すべての道はローマに通じる」ということわざがあるように、日本には日本橋があり、「すべての道は江戸に通じる」と言ってもいいかもしれません。
日本橋は、江戸における傑出したモニュメントであり、当時の首都であった京都への人生を変える旅の時間的、物理的な起点であるだけでなく、巨大さからもそうでした。その大きさゆえに、この橋は公共の通り道、展望台、インフォーマルな市場、広場として考えられ、実際にそのように機能していました。信じられないほど様々な社会階層が集まり、大名行列が行われ、そして商業活動に利用されたこの橋は、単なる橋ではありませんでした。寺社仏閣や皇室のお膝元ではなく、今もなお希少な、日本で唯一の真の公共空間だったのです。しかし悲しいことに、それは荘厳でありながらも儚い、木造の橋でした。最も強力な封建的統治体制が、火事や洪水に弱い木造であえて建てたのです。当時当然のこととはいえ、すべての道の始点と終点であるにもかかわらず。そこには様々な制御システムやシンボル、機能が組み込まれていて、永久的に残る物質で構築することを拒んだのです。
日本橋には、現在でも日本国道路元標(キロメーター・ゼロ)があり、そこからすべて都市への距離が計測されました。こうした指標は通常、記念碑化されて一般に公開されているものですが、このブロンズ製の指標は、車の往来が激しい橋の真ん中に置かれています。そのため勇気ある数人はこのマーカーを見ることができるかもしれませんが、意識的に目立たないように設置され、私たちの現実認識から退けられています。日本の多くの権力構造や支配の象徴と同様に、この道路元標もまた、空虚な中心です。これらの指標は、物理的に現れていても、文化的、政治的、そして精神的な仮面をかぶっています。場合によっては、私たちは意図的にそれらを見ないようにし、まるで超ハイテクの熱光学迷彩で保護されているかのように覆い隠してしまうこともあるのです。
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来月は、「街道を走る理由」をテーマに、実際に街道を走ってみたいと思っています。
お付き合いいただきありがとうございました。それでは、次回をお楽しみに!
執筆(英文):カズ・ヨネダ
ネイティブチェック:グレッグ・セルヴェータ
編集:出原 日向子
アソシエイト:園部 達理
引用文献
タイモン・スクリーチ著『江戸の大普請 徳川都市計画の詩学』講談社学術文庫、2017年、36-37頁
写真クレジット
1……歌川広重「名所江戸百景 日本橋雪晴」(安政3年)国立国会図書館デジタルコレクション所蔵(https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1312237)
2……東京日本橋(昭和26年) クレジット:KINOUYA ARCHIVE, Public Domain <https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Sto1001.jpg>, via Wikimedia Commons