*このエッセイは、アメリカのとある出版社から近日中に発売される書籍からの抜粋です。この機会に、グ"ロ”ーカルな読者のみなさんのために、Bureau Newsletterではバイリンガル版で公開したいと思います。エッセイ全文と結論は大どんでん返しの予定ですので、発行日をお楽しみに!
美学、あるいは様式やフォルマリズムの理論化としての有機体論 (organicism) は、歴史的には主に西洋の言説だった。本エッセイは、その文脈の中に位置づけられるものではない。むしろ、有機体論が喚起する認識論的な差異を別の視点から理解し、評価するための新たな与件 (datum) を確立することを目指したい。文化的例外主義ではなく、すでに成熟した飽和状態のヨーロッパ中心主義の言説中の例外として解釈されることを望む。「有機──オーガニック」という概念とその批評を、ヨーロッパ近代という「伝統的な」故郷から持ち出し、現代世界の最前線に持ち込むことが不安定なように、グローバルな世界に埋もれた異なる視点によって、新しい知識群、あるいは実践のための枠組みが掘り起こされるかもしれない。これは、見知らぬ土地に住む見知らぬ人、極東の島国日本に住むアメリカ人によるルポルタージュである。
オーガニックという概念は、建築的想像力のレキシコン、ましてや19世紀の日本には存在しなかった。ヘーゲルの『現象学』(Phänomenologie des Geistes) の初期翻訳版で、三木清などの哲学者が「有機的なるもの」を徹底的に検証した哲学的議論に「有機的 (das Organische)」な主題が登場することはあった[i] が、日本に建築思想としての「有機 (organic)」が到来した起点は、当時プレーリーハウス・シリーズで世界的評価を確立していたフランク・ロイド・ライトの登場だった。ライトは、「有機的な建築」という概念を日本へもたらしたのである。ライトの建築は、自然との調和[ii]や、「シンプルな素材の美しさを引き出し、磨き上げる」[iii]ことを特徴としていた。 彼は日本国内で、帝国ホテル (1912-22)、自由学園明日館 (1921)など数作を手がけたほか、素材の実直な表現、空間の流動性、物の芸術性と美しさ、環境的配慮といった独自の視点で日本の伝統芸術や建築を「有機的」と評価したと言われている[iv]。 しかし、ライトでさえも、日本建築を形式的な有機的性格や様式的な設計プロセスとして位置づけていないのは興味深い。逆説的に、あるいはこの論の文脈に沿ってポジティブに解釈すれば、ライトによる「自然との調和」宣言は、私たちに思想の混同を避けるためのヒントを与えてくれるのではないか。日本というコンテクストの中でこのテーマを探求し、西洋のパラダイムとは異なる日本の建築を自然 (nature) という言葉との関係性において分析した方がより適切である。
最も基礎的なレベルで考察してみれば、日本における自然との関係は、様式やデザインの決定を支配する上部構造的なものでも、最新のデザイン理論を支配し構造化するための下部構造的なものでもないと理解できるだろう。自然は、ある種のインスピレーションやアプリオリとして機能しながらも、決して方法論、いわば反復するメソッドとして顕在化することはなかった。自然は長い間、人間の体験から遠ざかり、完全に理解されることがない、常に回避可能な言葉に言い表せない現実として受け止められてきたのである。自然の不可解さと、その本質的な近寄りがたさに対する畏敬の念は、多神教的なアニミズムが根差す要因のひとつとなりえた。このような代替的な領域での思想は、分子レベルから都市レベルまで、あらゆるものに影響を及ぼしている。神代の後に登場した仏教は、13世紀初頭の『方丈記』[v]の冒頭で、首都 (京都) を構成する建築物とそこに住む人々を「よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、ひさしくとどまりたる例なし」として、無常観のレイヤーを追加している。したがって、日本の都市は、「...等しく人間と自然との間の調停の場である」エフェメロンとして理解することができる。これは人と自然の連続性という土着の感覚に根ざしたものであり、中世の首都の実際の姿である定住地と非定住地の非公式な混在によって維持されていた。都市貴族の美意識では、自然と人工の曖昧さが非常に重視された[vi]。皮肉にも、古代京都は当初、古代中国の洛陽や長安の城郭都市を理想とし、模範した土塀壁を持っていたが、意図的であれ黙認的であれ、荒廃と崩壊を許し、文字通り諸行無常を体現することになったのである。
それは、ヨーロッパやアジアの大陸の伝統的に区画された城壁都市とは相反する都市の発展をもたらした。海は広大で激しい堀であり、群島国家はこの自然の地質学的障壁の恩恵を受けていた。孤立と選択的浸透というガラパゴス島状態ならではの進化の条件を象徴するように、人と自然との関係はまったく異なるコズモロジーへと発展した。すなわち日本の文脈でこの点を再確認すると、世界、ひいては建築は、自然との関係において理解されるのであって、自然の中にある特定の性質を、造形的なプロセスや形態的な抽出によって、対象が内包、体現できるかどうかということではない。
続く...
執筆(英文):カズ・ヨネダ
編集:出原 日向子
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お付き合いいただきありがとうございました。
それでは、次回をお楽しみに!