さて、五月病もおさまったところですし、ニュースレターを再開できる次第と相成りました。
5月に伊勢参りに行ってきました。その旅を通して得た考察から再開できれば幸いです。
伊勢神宮は日本人の心の中でいつも特別な位置を占めてきました。古代のスピリチュアリズムから今日に至るまで、最も神聖な場所であり続けてきたのです。しかしながら、今月のニュースレターは、伊勢神宮がいかに神話的特異性があるかを再考するのが目的ではありません。むしろ、伊勢神宮が周期的に再構築される意味と影響を探ってみたいと思います。伊勢神宮が20年ごとに建て替えられること(式年遷宮)はよく知られていますが、この伝統のコスモロジー的な根拠は、太陽の女神である天照大神が永遠を好み、朽ちることを嫌うことに深く根ざしていると考えられています。その一方で、建築・デザイン分野にとっては、より現実的な理由や作法のほうが興味深いと考えます。
実際、周期的な建て替えを行うのは伊勢神宮だけではありません。賀茂御祖神社(通称下鴨神社)は21年ごとに、出雲大社は60年ごとに、一部または全体を建て直します。これらの神社と伊勢神宮との大きな違いは、くだんの式年遷宮を千年以上の間、ほとんど例外や遅延を出すことなく、20年ごとに及ぶ再構築の輪廻を続けてきました。もとよりそれは、この神宮が神話的ヒエラルキーの頂点を占める太陽神を祀っており、尚且つ皇室と結びつく最も崇拝された聖域であることに深く関わっています。20年といっても、式年遷宮の組織から計画までの準備過程にはおよそ10年、実際の物理的な再構築には8年、残りの2年はお祓いと創建遷宮のプロセスに費やされ、多大な労力を伴うのです。
式年遷宮は森を育てるところから始まるという美しい考え方があります。その通りに、主要な部材は保護されている森林から伐採され、使用する木は厳選されます。一度選ばれた木は、神聖で生気に満ちたものとして扱われ、主たる境内までに運ばれる道すがら信仰の対象になります。本殿に到着した木々は、国中から選ばれ集められた熟練の宮大工らの手によって養生され、細心の注意を払って扱われます。国外ではあまり知られていませんが、20年経った古い柱や梁といった建築部材は、廃棄されずに再利用されることは特筆すべきです。古材の表面は削り取られ、新品同様な仕上がりになり、そして新築、修理、再建のために良質な木材を必要としている他の神社へと下賜、提供されます。持続可能なサイクルは、伊勢神宮で完結するのではなく、余波として広く伝播するのです。
無垢で純粋な木材(ここでは檜)は、一見20年間しか使えないように思われていますが、正しいメンテナンスと表面処理を施せば、巨大な柱が箸一膳になるまで、非常に長い寿命を保つことができます。20年という周期は、創り手の世代交代の儀礼ともシンクロしています。技術は世代を超えて次へ受け継がれなければなりません。特に洗練され、ミニマムに研ぎ澄まされたディテールであればあるほど、なおのこと手を抜いたり、不完全な部分を隠すことはできません。この建物は物理的な完璧さだけでなく、まさにこの結果を実現するために必要な技術や技巧も内包しています。いうなれば文化的、建築的、精神的プログラムであると同時に、教育的プログラムでもあるのです。
斯様なプロセスを念頭に置くと、現代社会において技術の進歩や文化的価値観の変化により、急速に、そして頻繁にモノを入れ替えなければならないという、選択的健忘症に陥っているかのような合理性の源泉として伊勢神宮を狭義に引用することは軽率です。実際には、安易な消費による質的な劣化が原因なのですから。手入れし、整備し、絶えず再文脈化し、創造的に再形成したり、再生したりすることで、モノは長持ちします。皮肉なことですが、償却期間を迎え市場価値がゼロになった20−30年前の建造物をスクラップ&ビルドするのではなく、社会の変化しつつあると信じたい考え方に後押しされた建設・不動産業界全体が、実際の価値を保持しながら、必要なときに必要なエレメントを再構築できる持続可能なシステムとして再出発すべきです。およそ1500年のあいだ伊勢神宮がそれを体現してきたのですから。
執筆(英文):カズ・T・ヨネダ
査読:グレゴリー・セルヴェータ
編集:出原 日向子
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お付き合いいただきありがとうございました。それでは、次回をお楽しみに!